*本ブログはプロモーション広告が含まれています

大牟田の昔は三池藩「シリーズ藩物語」 林洋海著

スポンサーリンク

 

シリーズ藩物語 三池藩

 

なんとな~く大牟田の歴史に興味はあったものの、今までまったく触れることはありませんでした。知っている知識と言えば、石炭が出て炭鉱で栄えてたってことくらい。

 

そんで、たまたま「シリーズ藩物語 三池藩(下手渡藩)」という大牟田の歴史が書かれてある本を発見したので、読んでみることに。

 

まぁ知らんことばっかりでした。

 

シリーズ藩物語は林洋海の著

この「シリーズ藩物語 三池藩(下手渡藩)」は林洋海という方が書かれた本。シリーズ藩物語というだけあって日本全国の各藩の本が出ているかと思いきや、林洋海さんが書いているのは「三池藩」の他、「久留米藩」「福岡藩」「秋月藩」と筑紫、筑後の藩のみみたい。

 

大牟田は三池藩

中学や高校で学ぶ日本史は、だいたい近畿圏か関東。九州の歴史なんてほとんど出てこない。覚えているのは、秀吉の九州征伐とか薩摩藩の西郷さん、天草四郎の島原の乱くらいか・・・?

 

大牟田が三池藩ということは知っていたけど、江戸時代に立花家が治めていたとは知らなかった。

 

実は大牟田は日本書紀にも出ているんですよね。

 

景行天皇が訪れ、倒れている長さ970丈の木を見て、御木国と名づけたらしい。この御木がなまって三池と呼ばれるようになったそうな。

 

意外と歴史が古い大牟田市。

 

三池藩は奥州の下手渡藩との飛び領地だった

三池藩は丘陵や山地が多く、平野は湿地帯が多いため、農地が少なくて石高も低かったそうで、干潟を干拓して新田の開発に力を注いだとのこと。

 

そういや大牟田の干拓の話は小学校の社会の授業で教えてもらったのを覚えている。

 

そんな大牟田で藩経営に辣腕を振るってきた立花家でしたが、突然、幕府から奥州下手渡への国替えを命じられ、九州からはるかかなたの奥州へ移住。その後、三池の復封が申し渡されたが、下手渡との半知復封。奥州下手渡と三池との飛び領地って凄い。

 

新幹線もない時代にこの距離を離れた二つの領地を治めるとか可能だったのだろうか?苦労していたらしいけど。

 

大牟田名物草木饅頭は大正三年に発売

大牟田名物草木饅頭。草木饅頭についても少し書かれてました。

 

草木饅頭とは、一口サイズのあんこたっぷり蒸し饅頭。大正三年に発売され、あっという間に人気グルメになったらしい。

 

昔は「平和饅頭」と呼ばれていましたが、地名の草木から「草木饅頭」と呼ばれるようになって今に至る。

 

甘いあんこが一日の疲れを癒してくれるとして、三池炭鉱で働く炭鉱マンに特に愛されたらしい。

 

長らく食べてないので久々食べてみたい。

 

草木饅頭は、JR大牟田駅近くで、家黒田屋と元祖江口栄商店が隣同士で販売していますが、実は同じ家から派生したそうで、仲良しとのこと。

 

草木饅頭に2つあったのはなんとなく知ってましたが、そういや食べ比べしたことないので、味の違いはわかりません。

 

大牟田の幻の二人の匠

大牟田には二人の匠が存在。刀匠の三池典田光世とカルタをつくった三池貞次。幻の匠と呼ばれているらしい。

 

平安時代に名刀を生み出した三池典田光世

平安時代に三池に住んでいたという比類なき刀匠が三池典田光世。元真(げんしん)とも言う。

 

三池典田光世とその子孫は、次々と名刀を生み出し、初代光世作を古三池、鎌倉時代以降の作品を末三池と呼んでいる。現存数が少ないため、幻の名刀となっているらしい。

 

古くから大牟田に住んでいた子孫に当たる人の家には、もしや三池典田の名刀が眠っているかも・・・。鑑定団に出品したら、凄い値段が付きそう。

 

カルタつくりの名人、三池貞次

カルタは三池名産だったらしい。日本カルタ発祥の地として、大牟田にはカルタの歴史資料館(大牟田市三池カルタ歴史資料館)が開館してますもんね。

 

三池貞次は、他は真似が出来ないカルタつくりの名人として天下に名前が知れ渡っていたらしい。どの辺が素晴らしいのかよくわからなかってけど、「大牟田市三池カルタ歴史資料館」に貞次のカルタが展示されているので、見てみると素晴らしさが何かわかるかも。

 

カルタは三池の名産でしたが、実物がなく、幻のカルタと言われていたらしいです。もしも、家に三池のカルタがあったら凄いことになりそう。

 

大蛇山祭りは寛永17年にはじまった歴史が古い祭り

大牟田の夏祭りと言えば大蛇山祭り。寛永17年(1640年)にはじまったらしい。江戸時代ですね。

 

大蛇山も思っていた以上に歴史が古かった。

 

大蛇山は、その名の通り大蛇を冠した高さ五メートル、長さ10メートル、重量三トンの山車が避けるように開いた真っ赤な口から七色の火を噴きながら、笛や太鼓のお囃子もにぎやかに、三池の町を練り歩く勇壮な祭りである。

 

そういえば、大蛇山の後ろについて歩いて、縦笛を吹いていたような記憶がある。太鼓や鐘のことは覚えていたけど、笛は忘れていた。笛のメロディーも思い出した。今も吹けるかも。

 

大蛇山は「祇園六山」といわれ、三池本町祇園、三池藩三池新町彌剱神社、大牟田神社第二区祇園、三区八劍神社、本宮彌剱神社、諏訪神社などから意匠を凝らした大蛇山が競って繰り出し、大牟田市の夏を盛り上げる。

 

6つ以上も大蛇山が存在するんですね。意外と近所の大蛇山、2つくらいしか見たことが無い。大人になってからは大蛇山祭り行ってないからなぁ。

 

まぁ、懐かしい。残念ながら今年の大蛇山は終了。

 

まとめ

大牟田って意外と歴史が古いことを知りました。日本書紀にも書かれていたとは。

 

大牟田は炭鉱の町だから、歴史は浅いのかと思ってました。三池は城下町だったんですね。子供の頃に、いろいろ大牟田の歴史のことを学んでたら、大牟田の各町も違った目線で眺めることができたのに。

 

三池の城下町は三池本町、三池新町辺りにあったようです。三池新町には藩政時代を偲ばせる町並みがあるそうなので、大牟田に帰省したときは寄ってみよう。

 

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました